国道を一時間ほど走って地元の村さ来に到着する。地元に帰ってきたのは何年ぶりだろうか。しかし外を流れる風景の懐かしさに目を向けることもせずに、その間あたしは運転中の吉岡の横でぐっすりと熟睡していた。例え車の中だろうが、すでに十二時間以上睡眠をとっていようがそれでもさらに眠れる、それがあたしの唯一の能力。
店を目の前にすると寝起きのあたしは一気に気分を害した。そこからはあたしの嫌いなオーラが出ているからだ。店の前にたむろする数名の男女は多分あたしの同級生なのだろう、しかしその中に入っていったとしてもあたしは再会なんて喜んだりはできない。あんたたちのことなんて全然覚えてない、そう、覚えてないのよ。
「ほんとに行かなきゃ駄目?」
あたしが訊くと吉岡はここにきてなんだか申し訳なさそうな顔をして、
「なら、一次会で引き上げよう? 今度こそあたしが送っていくから」などと言う。
むう……。あたしはなんだか納得がいかないうちに車を降りる。車から出てきたあたしたちを見て、誰かが歓声を上げるが、ていうか誰なんだ一体! お前らは! あたしと吉岡は店の前の若者達のところへ行く。久しぶりだの変わっただの変わってないだの、吐き気のするような会話が展開されている中で、あたしは黙りこむ。早く帰りたいオーラを全開にして吉岡を困らせてみる。しかし吉岡は動じない。むう。
店の前でしばらくごたごたやってから、中に入る。二階の座敷に通されたので店の前にいた数名で、酔っぱらい共の飼育小屋と化した店内をぞろぞろと進んで階段を上がる。座敷にはすでに二十名ほどが座っていた。多いなお前ら。そこに雁首並べている連中は皆二十歳の若者、老けている奴も童顔の奴もひっくるめて皆二十歳。十九の奴もいるが中学生だった当時に比べれば二十歳みたいなものだ、とにかく数年前まで冴えない田舎の中学生だった二十名は、冴えない田舎の二十歳となってここに再集合した。この中に大人になれた人間は一体何人いるのだろう? あたしがその中に座るとあたしも大してこいつらと変わらないように見える。どこでどう暮らしていたって結局のところこいつらも無職のあたしとそう大差ないんじゃないか? だがもちろんそんなわけはねえ。
再会を懐かしんで若者達は好き勝手にしゃべりまくっている。目の前に料理が大体そろい始める。これいくらするんだ? 会費は? まいいやどうせ吉岡に払わせてやる。しかしタダ酒&タダ飯となると俄然やる気が違ってくる。昂揚した場の雰囲気もあってかあたしは少しずつ浮かれ始める。なんて単純なんだあたしは。だが目の前に並ぶ小料理がなかなか上等なので朝からおにぎり一つの腹は食欲を加速させる。
目の前にビールの中ジョッキが並ぶ。おいおい全員ビールかよ。未成年もいるのにこの露骨な問答無用さは何だ。それにあたしはそんなにビールは好きじゃない。だがしかし! タダのビールは大好きなのでありがたく頂戴する。ありがとう吉岡。満面のスマイルを左手の吉岡に向けると吉岡は困った顔で笑い返す。
男子のひとりが立ち上がってやたらテンションの高い音頭をとる。
「みなさんお久しぶりでっす! 積もる話もあるかとは思いますがとりあえず乾杯させていただきます! カンパァァァァイ!」
かんぱーい。あちこちでジョッキが鳴る。あたしのテーブルでもジョッキをならしていたのであたしもそれに便乗する。ろくに顔も覚えていないクラスメイト達と乾杯。無職のタダ酒にカンパイ。
全体的に見た目より濃い味の小料理にかぶりついてビールを煽っていると右手から声がかかる。スポーツマン崩れ風の男子だ。名前は……竹村? じゃなくて竹宮、竹田……なんだっけ。
「久しぶりだねえ、伊月さん」
「あんた誰だっけ?」
もうめんどくさいのであたしはストレートに訊いてみる。
「ひどいなあ……山田だよ。野球部の」
ああ山田か。ぜんぜん違った。それにしても野球部を名乗られてもあたしと野球部には何の接点もないわけで……って、ああそうか、こいつは当時丸坊主だったんだ。チビで坊主の山田だ。いたいたそんな奴。今は立派に背も伸びまくって髪も生えまくってピアスも開けまくっている。ビバ年月。
「それにしても何でこんなに人数集まってんの? こいつら他にやること無いのか?」
などとあたしは毒づく。この中で本当に毎日暇で暇でしょうがないのはきっとあたしだけだ。
「さあなあ……。でも結構仲良かった方じゃない? うちのクラスってさ」
そうか? そうだったか。あたしはクラスにあまり興味がある方ではなかったので、クラスという集団に関しての記憶は特に薄い。
「伊月さんって今何してんの?」
おいおい、それはタブーですよ。ちょっとは考えて喋れ。
「山田君は?」
必殺質問返し。山田は地元の大学の名前を出す。まあ無難だな。
「あたしはN大学」
に、入って中退。だがそんなことは言わない。
「N大? やっぱ凄いな。頭よかったもんなー」
あたしは料理に集中するために会話をそこで中断する。だが山田は懲りずに話しかけてくる。毒にも薬にもならない世間話だ。
「そういえば伊月さん、今日どうやって来たの?」
「吉岡の車」
あたしは吉岡を指さす。吉岡は冴えない女とのトークに花を咲かせていた。
視線を山田に戻すと、山田はじーっとあたしを見た。
「伊月さんって、ちょっと痩せた?」
「はぁ?」
何タモリみたいなこと言ってんだ? ははーん、こいつの魂胆は見えてきたぞ。クラス会で女ゲットしてあわよくばお持ち帰りってとこだな。ふっふっふ面白い。それはあれだな? あたしへの挑戦状だな? ナメてんだなあたしを。よーし分かった。さんざん金吸ってポイだ、なんて尻軽思考が頭を渦巻くがあたしはそんなこと出来る人間ではないことを思い出してあきらめる。そもそも好みじゃない。
「マツシマさんのォー! ちょっといいとこ見ってみったいー!」
乾杯の音頭をとった調子者が大声で叫ぶ。その横で松島……松島! が恥ずかしがりながらブリッコこいて立ち上がる。ええーできないよぉーなどと言いながらも緑色の酎ハイが入ったドデカいピッチャーをちゃっかり持ち上げる。しかしよくよく奴のテーブルの上を見るとすでにピッチャーがいくつも空になっている……飲み過ぎだ! 松島は顔も赤く目も据わり、相当できあがっている。
「そーれイッキ! イッキ! イッキ!」
と周りが叫ぶと松島のバカは、ええー恥ずかしいよーとかほざいたくせに片手を腰に当て男まさりの仁王立ちで一気に! 浴びるように! もの凄い勢いでピッチャーの中の大量の液体を次々と胃に流し込んでいった。ごきゅごきゅごきゅごきゅ、見る見るピッチャーの底があがっていく。あたしは松島のノドが上下する様をあきれ半分で見届ける。あっという間に酎ハイは松島の胃におさまったが、松島が調子に乗ってあまりにピッチャーを傾けていたため、残った氷が雪崩のように勢いをつけて松島の顔面にガラガラガラ! と崩れ落ちて松島の顔はびしょ濡れになり周囲は氷まみれになった。一同爆笑。しかし泥酔松島はそんなこと気にしない。衆人大歓声。イエー! とりあえずあたしもイエー。
そしてついにこのときが来る。
松島の鈍く輝く目があたしの目を射抜く。
酒気と喧噪とが猥雑に入り交じった座敷の空気を切り裂いて、あたしと松島の視線は二人にしか見えない、鋭く細い一本の排他的な糸となって結び合う。
松島は、据わった目で、化粧の崩れた顔であたしを睨む。そこに宿るのは驚嘆と憎悪、懐古と激情、松島はその目で語る―――なんでお前がここにいるんだ―――。
あたしと松島は同時に、まったく同じ古い感情を呼び起こす。
鋭い針で松島の目に縫いつけられたあたしは、記憶の底に沈殿していた松島との因縁の歴史をすべて思い出す。
そうだ。忘れてなんかいない。本当は全部覚えている。
あたしは全部覚えている。
「吉岡……」
脳の中に薄くまわったアルコールもどこかへ行ってしまう。松島から目をそらしたあたしはあたし自身の存在を保とうとするかのように吉岡の袖を掴む。
「ねえ、吉岡。帰ろう」
「どうしたの? 顔色悪いみたいだけど……」
いつの間にか酔いとは違う種類の吐き気を覚えていた。
「なんでもいい。外に出よう。もうここにはいたくない」