「詐欺だった」
「は？　詐欺？」化粧の濃い顔をしかめる唯子ちゃん。
「うん」それ以上の言葉は出なかった。唯子ちゃんの言ったとおり、やめておけばよかったのだ。

　私は初めて心が傷つくということを知った。もう誰とも話したくない。誰の顔も見たくない。学校だって行きたくない。世界中の人がみんないなくなって、太陽が無くなって真っ暗になって、私だけになってしまえばいいのに。真っ暗になった世界の隅っこで、私は布団を敷いてその中で丸くなって、じっとしていたい。この世の全部が無くなって、私一人で布団の中で、永遠に来ない朝を待って、まどろみの中で生きていきたい。もう嫌だ。
　どれだけ朝を迎えても、その傷は深く残ったままで、全然回復しなかった。今までならちょっとくらい落ち込んでも、朝起きたらもう忘れてしまっていたのに。

　私が騙されたことについて、私のお姉ちゃんの話を引き合いに出せば、言い訳みたいになっちゃうけど……、『プロ』なんて言葉を出されたら、そりゃあね、動くよ、心。封印していたお姉ちゃんへの憧れを、思い出すに決まってる。私以外の人だったら、こんな話は蹴っていたかもしれない。でも、それが私だったから。育った環境が既にアンフェアだった。旭川さんが私の家庭のことまで知っていたとは思えないけど、偶然、私にはモデルとして活躍している姉がいた。だから私は他の人よりも、芸能？　という職業について、抵抗がなかった。むしろ憧れだった。そんな気持ちがあったから、騙されるべくして私は騙されてしまったのだ。まんまと。旭川さんの人を騙す能力を上回って、私自身に原因があったのだ。……だからこそ。だからこそ余計に、もう、ほんとに……腹が立って腹が立ってしょうがない！

　旭川さんは私をプロにすると言った。私は承諾した。私は自分がお姉ちゃんと同じ仕事に就くことができると思った。お姉ちゃんと並んで自分がテレビに映っているところを想像してしまった。なんていう馬鹿さ加減。
　私がそのとき旭川さんに支払ったのは五万円。今まではアルバイトとしての仮登録だったけど、社員として正登録するために、事務手続き費用として五万円が必要だという。今から考えるとそんな馬鹿な話があるか、って感じだけど、旭川さんの展開する人を騙す話術によって、私はすっかりお姉ちゃんへの羨望のとりこになっちゃっていて、『プロ』という言葉に、ふわふわぽわーん、って、へらへら、って、にんまりしていたので、もう正常な判断なんてあの時間の中では出来なかった。
　五万円の本登録料を支払っても、一日の撮影の給料が、二万円にアップすると彼は言っていたので、なーんだ、三回も出れば速攻で元が取れちゃう。しかもそのあとは凄い勢いで儲かっていく仕組みだなあ……なんて、私は、バイトを始めたばかりだったのでそういう新しい金銭感覚にメロメロになってしまった。それがいけなかった。私はまんまと騙されて、五万円を支払ったまま、旭川さんとは携帯が通じなくなって、音沙汰がぱったりなくなって、最初は別に何とも思っていなかったんだけど、一ヶ月経っても連絡がなかったので、

　私、ああ、騙されたんだ。

　ってようやく気づいた。一ヶ月の放置の末に。私は旭川さんが詐欺師であることを納得するのに一ヶ月かかった。本当に馬鹿だと思う。旭川さんがいい人だなんてずっと信じていた。馬鹿な私。馬鹿。私は馬鹿な松島鞘。

「ふうん」昼休みの教室で、ＣａｎＣａｍをぱらぱらめくりながら、素っ気なく唯子ちゃんは言った。「で、全部でいくら盗られたの？」
「貰ったのがえっと……三千円と、七千円で、払ったのが、五千円と、五万円だからー……」私は指折り数える。いち、にい、さん……。「あれ？　えっと……」
「四万五千円」雑誌から顔を上げて私をビッ、と指差す唯子ちゃんの爪はつけ爪で、ピンクの花柄がかわいくておしゃれ。
「そう……そのくらい」
　私は消えた四万五千円のことを思った。バイトをしたことがなかった私にとっての四万五千円は貴重でかけがえのないものだったのだ。毎年毎年、大したことない額のお年玉を、使いたい気持ちを抑えて全額貯金してきた大切な大切なものなのだ。四万五千円といえば、一年分のお年玉くらいの額だ。私の年収！　私の年収が！　だけど金額以上に、騙された心の傷は大きくて深い。
「四万五千円つったら……」唯子ちゃんはＣａｎＣａｍをぱらぱらめくり始めた。
「え？」
「このくらいだな」
　唯子ちゃんが差したそのページには、女性モデルが一人。よく見ると、唯子ちゃんが差しているのはそのモデルの足だった。モデルは小さくて綺麗な足に、ミュールを履いていた。もうほとんどヒモだけ、って感じがする、華奢な黒いミュール。その写真の下には、こう書いてあった。
　『ミュール　４６５００円　／　ディオール』
　こんなちゃちなサンダルが４６５００円……なのは、まあ、いいとして、そのミュールを履いてるモデルが私のお姉ちゃんだった。