赤鬼青鬼 13

 次の日、唯子ちゃんは学校に来なかった。
「なんだー村上は休みか?」木田先生は言った。あの派手なアタマが見あたらないのは誰だってすぐに気づいてしまう。
 ざわざわざわ……。
 くすくす……。
 何故か視線が私に集まっている。
「松島、何か聞いてるか?」と先生。
「知りません」私は、知らない。

 今朝、教室の私の机が荒れていた。彫刻刀かなにかで彫り物。『ゆいちゃんだいすき(ハートマーク) 私とセックスして fuck me』とかなんとか。周りのみんなは普段通りの顔。なに食わぬ顔。他の生徒と談笑するなり、今日提出の宿題を広げるなり、いつも通りの朝の教室だった。この中の誰かがやったに決まっている。そして、教室を見渡してみればその犯人はすぐに分かった。だって赤かったから。ひとりキラキラと赤い光を放っていたのは、三沢美澄。アキちゃんグループのひとりだった。地味目で、ノーメイクで、眉毛の手入れも無い。黒い髪をおかっぱみたいなショートカットにばっさり切ってあり、前髪はきちんと揃っている。グループの中でも、それほど親しいってわけじゃない子だけど、こんなおとなしい子が『セックス』とか彫っていたなんて。心のなかに隠した鬼は、外から見ただけでは分からないもんだなあ。
 わたしはツカツカと三沢美澄の目の前へ行く。三沢美澄は鞄の荷物を机に入れたりなんかしているところだった。
「ああサヤちゃん、おはよう」いつも通りの笑顔。だけどその裏側にある白々しさが私には分かってしまう。
「おはよ。ミーちゃん。ところで、机交換しない?」にこり、と私、三沢美澄の顔が白んでいくのを見る。いい気味だ。
「なんで……え? あ、えっと……」美澄は今ものすごい頭を働かせているはずだ。さあ、どうやってこの場を切り抜けるつもりだろうか。「なんでかな?」
 あからさまに動揺しているけど、白を切り通すらしい。
「いいよ、私もう分かってるから。ミーちゃんがやったってこと。別に怒ってないから、机だけ替えっこしよう」ね? と微笑みかけると美澄はブルブルと震えてから承諾した。
「でも、わ、私じゃないよ……。やれって言われて、どうしてもやんないと駄目だったの……本当に……」
「え? どういうこと? 誰に言われたの?」
「それは……。言えない」
 私は辺りを見回して、共犯者を知ることも出来た。だけど、私は、自分の中に嫌な予感があって、それのために、今はやめておく。知らない方がいいってこともある。

 唯子ちゃんは学校を休んだ。密かに皆勤賞狙いだった唯子ちゃんが欠席するなんて。携帯にも出ないし、メールの返事もない。だから学校が終わったあと私はさっさと帰って唯子ちゃんの家に行くつもりだった。風邪で寝込んでるのかもしれない、って考えると心配でしょうがない。もしかしたらもっと悪い病気で苦しんでるかもしれない! 私の唯子ちゃんが。
 だけど授業後、すぐに帰らせてもらえなかった。この間の数学のテスト、白紙で出したやつがマズかったらしくって、その補習をやらされることに。ああっ、こんなことをしている間にも刻一刻と唯子ちゃんが苦しんでいるかもしれないのに。でも私は目の前の数学の問題を解かなければ帰れない。けど解けない。唯子ちゃんが気になって問題どころじゃない。けど解かないと唯子ちゃんのところへ行けない! あーもう!
 なんてやっていると、時間はどんどん過ぎていって、全部終わった頃にはもう日が暮れ始めていた。うう……。私は情けない松島鞘。
 職員室の木田先生に補習のプリントを提出しに行ったら、いなくて、その辺の先生に、あれ? 木田先生はどこですか? と訊ねたら、さっき階段を上がっていかれるところを見たけど、とのこと。もう、こんなときくらいじっとしといて下さいよ先生……。
 先生はどこだろう? 私は職員室脇の階段を上がって、廊下をうろうろしてみるけど、夕暮れの校舎に人影は見あたらない。うーん、困った。三階へ上がって、音楽室の前を通りかかったとき、音楽室の中から物音。

 がたん、ギシ、ギシ、ギシ、ギシ、

 何の音だろう? と思って近づいてみる。

 ギシ、ギシ、ギッ、ギィ、ギシ、ギシ
 あっあっああっ、んっ、はあっ、あん、あっあっ、あっ、ふ、ん、あうっ、はん、いい、あん、あっ、ああっ、あっ、んっ、あっ、はあ、んあっ、んっ、んっ、んっ、んっ、あっ、んあうっ、あっ、あっ、あっ、あああっ、んっ、あっ、はん、んぐっ、あっ、あっ、あっ、んっんっんっんっ、あっ、はあ、んっ、んっ、いいよお、んっ、ああん、あん、あん、あん、はあ、ふうっ、く、ふうん、んっ、んっ、あん、あっ、ああっ、いや、いや、いや、もう、だめえー、あー、あ、んあう、あ、あーあーあーあああ、せんせ、やあ……、あ、あたし、い、んっんっんっ、い、っく、う、う、う、あ、んんんんー!

 しばらくして、声が聞こえなくなっても、まだ私はそこに、呆然。何だあ今のは! 私は状況を理解しかねていた。いや、流石に何が行われていたのかってくらい、もう想像がつく年頃なんだけど、それでも、いやいや、勘違いかもしれないしね。いやいや、勘違いの訳がない。
 あの女の声はどう聞いても。聞き慣れたあの声だったのだ。
 私は先日の噂話を思い出した。唯子ちゃんが教室でセックスをしていたとかいないとか。まさに私は今その場面に遭遇してしまったのだ。
 でも実際は、唯子ちゃんではなく、アキちゃんの声だった。アキちゃんが音楽室でセックスをしていたのだ。誰と?
 それもすぐに分かる。音楽室から最初に出てきたのは木田先生だった。スーツもちゃんと整っていて、部屋の中での乱れ方を全く感じさせないフォルム。しかも流石に彼も大人で、一瞬私の姿に驚いたようだったが、すぐに気を取り直したようで、「補習できた?」と先生の顔をしてにこりと笑った。